我が国では16世紀半ばに現代の入れ歯と同じように"噛める入れ歯"が実用化していました。木彫で口腔内粘膜にピッタリ吸着するように仕上げたもので、まさに日本の職人芸です。そのルーツは仏像などの木彫を得意とした仏師が母のために作ったと言われており、約470年も前の天文7年(1538)のものが現存しています。
当時は蜜蝋を柔化し、口腔内粘膜に押し当てて印象を採りました。こうしてできた陰型に石灰やゴマ油を混ぜたもので顎の模型(陽型)を作りました。既に、当時から蜜蝋を精製すると融点が下がり口腔内に入れても熱くなくなること、また型表面に雲母の粉を吹きつけると型から外し易くなることなど様々な工夫、秘伝があったようです。
顎の模型ができたらそれに適合するようにツゲなどの木を彫刻します。模型に何度も合わせ不適合箇所を削り隙間がないようにします。仕上げは"紅合わせ"と云われ、口腔内に紅を塗り、実際に物を噛み、紅の付いた箇所を削り密着するように調整しました。
次に指物師などの職人が歯を作ります。初期は、ツゲ材などから一体で削り出していましたが、江戸中期には象牙やロウ石から、また女性用には、お歯黒の風習から黒檀や黒色の石などから作りました。奥歯には外観より"噛めること"が求められ、真鍮など金属の歯冠が作られました。咬合磨耗のあるものがいくつも残っており、実際に使われていたことが分かります。
西洋医学が急速に進歩しつつあった19世紀初頭の西洋の医師たちにとっても我が国の木床義歯は感嘆すべきものであったようで、文政6年(1823)に来日したシーボルトもその著書の中で図入りで紹介、賞賛しています。当時の西洋には金属のバネで入れ歯を粘膜に押付け口の中で止めておく入れ歯しかなく、噛むことは勿論、話すこともできなかったそうです。西洋人が噛める入れ歯を手に入れたのは歯科医療の技術が一段と進んだ19世紀以降で、我が国の仏師に遅れること約300年以上も後のことです。
現在、蜜蝋や石灰による印象採得は高精度のレーザー計測機に、ツゲ材やロウ石はチタンやセラミックスに代わりました。そして仏師の造型、彫刻技術はCAD、NCマシーンに代わり、精度、作り易さは格段の進歩を遂げました。しかし、私たちは先輩達(仏師、職人)が世界に先駆けて開いたものづくりの心はしっかりと受け継いで行きたいと思っています。更にその元にある大切な人が少しでも楽しく過ごせるようにとの思いやりの心を大切にしたいと思います。
当社歯科用CAD/CAMシステムは、そんなものづくりを目指したシステムでありたいと考えています。
(デンタル事業室 室長 藤原 稔久)
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