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DIPROニュース

2012

7月号

2012.07.10

創業25年、節目の年に

会社設立の経緯
会社設立の経緯

先月末には、例年通り多くの企業で株主総会が開催され、当社も6月26日に株主総会を開催し、昨年度の事業を締めくくると共に今期の役員体制を決議しました。今年は当社の前身である㈱日産システム開発が1987年2月に設立されてから、25年目の節目の年にあたります。ここでは、その間の移り変わりを振り返ってみたいと思います。

世界を見てみると、1987年に全世界の人口は50億人を突破したと言われていました。それが昨年2011年には70億人を超え、人類が誕生してからの長い時間を考えると短期間に極めて急激な人口増加が起こっていると言えます。また、デタントが進んでいたとはいえ、世界は未だ米ソ二極構造の中にありました。その後、ソ連が解体し長く続いた東西冷戦はなくなったものの、現在では、多極化した世界各地で紛争やテロが絶えず、不安定な状況が続いています。そして、経済面でも、当時GDPで世界8位、日本の1/7以下の規模であった中国が2010年には日本を抜き2位に浮上するなど、欧米先進国や日本が低迷する中で、中国やインドをはじめとする新興国が世界を牽引するといったように大きく様変わりしています。

今から25年前といえば、日本はバブルの絶頂を迎える直前の時代でした。土地の値段が高騰し、山手線の内側の土地でアメリカ全土が買えるといった、今から考えれば信じられない話が飛び交っていました。今では当たり前に利用しているJR各社が旧国鉄の分割民営化により誕生したのは、この年の4月です。また、NTTが携帯電話のサービスをスタートしたのもこの年です。携帯電話の初号機は体積500ccで重量900gとのことです! ちなみに年末の為替市場は1ドル=121円の水準でした。

当時の職場を思い出してみると、まだワープロが普及し始めたところで、パソコンはまだ珍しく、書類は、フロアに一台配置された共用のワープロを交代で使って作っていたことを思い出します。もちろんe-mailや携帯電話といったものとは無縁の世界です。今から考えると不便にも思えますが、何かのんびりとした時代であったように感じられます。

PLMの分野に目を転じると、複雑な意匠形状をクレイモデルから圧型まで転写していくプロセスを製品開発の根幹に持つ自動車メーカーでは、早くから3次元CADシステムの開発と適用に力を入れており、日本の自動車メーカー各社も内製CADシステムの開発を精力的に進めていました。

このような中、㈱日産システム開発も、その開発力強化を目的に設立されました。

自動車業界を中心とした3D化の経緯
自動車業界を中心とした3D化の経緯

それから25年、3次元CADモデルもワイヤーフレームからサーフェス、そしてソリッドモデルと高度化が進み、適用面でもデジタルモックアップやCAEの適用拡大などと合わせて、製品開発期間の大幅な短縮や試作回数の削減といった確固たる効果を上げてきました。現在では「形を作る」という視点で見ると3次元CADを根幹に据えたデジタル開発プロセスの基礎はほぼ完成し定着してきたように思えます。

そして現在は、デジタル開発プロセスは「形を作る」という一里塚のあとに極めるべき、新たな方向性と目標を模索する時期にあるように思えます。

振り返ってみると当社の25年の歴史も、ほぼ、この3次元CADの開発・適用の歴史に重なっているように思えます。次の25年というと考えを巡らすには長すぎると思いますが、急激に変化する政治・経済や社会構造、さらには喉元に突きつけられている資源・エネルギー問題などの外部環境を念頭に置きつつ、お客様である日本の製造業の皆様と共に、新たな革新に向けての挑戦、そして試行錯誤を続けて行きたいと思っています。

この機会に、当社に於ける3次元CADの歴史を振り返ってみるのも価値があるかと考え、現在社内で、その歴史を資料として編纂する活動を行っています。そこで、その概略を次号以降のDIPROニュースにてご紹介する予定としておりますので、ご一読いただければと思います。

皆様には今期もお引き立ていただきたく、役員一同心よりお願い申し上げます。


(代表取締役社長 山田)

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