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DIPROニュース

2009

7月号

2009.07.10

退任のご挨拶

取締役相談役 間瀬 俊明
取締役相談役 間瀬 俊明

歳のせいか時々朝早く目が覚め眠れなくなることがあります。そんな先日、何気なくテレビをつけたところNHKアーカイブスという番組で、数年前に亡くなられた盛永宗興老師という方の対談が放映されていました。その話の内容に大変感銘を受けたので(ここでは割愛しますが)著書の一冊を買い求めたりしました。

そんなころ、昨年末からご病気で入院されていた大学の恩師が快癒されたと伺ったので、お祝いの集まりをと先生にご相談したところ、ご自宅でお茶の席を設けて皆さんをお招きしたいとのお話しがありました。そのような手紙のやり取りのなかで、たまたま盛永宗興老師のお話を聞き感銘したことに触れたところ、先生は老師と直接ご縁があり、ご自宅に老師の揮毫された、「下載清風」(「あさいせいふう」と読むそうです)という禅語の掛け軸があり、とても大切にされているとのことでした。

お茶会の席で先生からその意味を伺い、さらにグーグルで検索してみたところ、中国宋代の『碧眼録』にある「如今抛擲(にょこんほうてき)す西湖の裏、下載の清風誰にか付与せん」に由来するとありました。「積荷を降ろして軽くなった舟が清風に乗って軽快に帆走している様子を描写したもので、心の迷いや不安、欲望など全部降ろして帰路につく心地は伝えようもないほど爽快だ」といった意味のようです。

人の命は有限で、裸で生まれ裸で帰る人間にとって死ぬことは全ての荷を降ろすことになります。その場合の人生の荷は何かを達成して降ろすわけではなく、途中であっても、答えがないまま降ろしても構わないということかと思います。一方で生物は子孫を残し、また人類は様々な荷を次の代から更に次の代へと引き継いでいくことになります。

人と社会(人類)の関係は、社員と会社(法人)の関係と似ているのかもしれません。私こと、このたび退任することになりましたが、今までに個人としても会社としても色々な荷を積み込んできたと感じています。上述の「下載清風」の境地にあこがれこそしますが、未熟ゆえに今は至らなかったことばかりが目についてしまいます。一方で企業としての荷、それはおそらく刻々変わるお客様や市場、技術に伴い、次々と新たに生まれてくる課題(難題)と捉えることもでき、その視点から見れば、荷をおろすというよりはむしろ次代に引き継ぐということかと思います。法人としての会社は、構成する人や仕事の内容は時代とともに変わっていきますが、社会的責任を果たすこと、すなわち働き甲斐のある職場を作り、お客様のお役に立つサービスを提供し続けなければならないことには変わりがありません。

取締役相談役 間瀬 俊明

2000年に新生DIPROが生まれたとき、葛飾北斎の神奈川沖波裏を弊社入魂の図として掲げました。そしてその絵に描かれた荒波に翻弄される小舟を弊社に擬え、目標に向かって社員一同力をあわせ櫂を漕いでまいりました。

しかし昨今の経済状況はかつてないと言ってよいほど厳しい状況にあります。これからは後任の山田社長以下新しい体制のもと、DIPROにとって引き継ぐべき荷と降ろした方がよい荷を分け、また新たな荷、大切な荷を積みながら企業としての責任を果たすべく太平洋の荒波を、さらにはグローバルな大海原を乗り越えて行くことになります。今後ともDIPROへの変わらぬご指導、ご支援をお願い申し上げます。

そしてこれまで、暖かいご指導とご支援を賜りましたことに心から感謝申し上げ退任のご挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

(取締役相談役 間瀬 俊明)

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