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DIPROニュース

2013

5月号

2013.05.10

過去といま、日本と西洋を融合する力で再び蘇る

ケルンデンタルショーに出展して

去る3月中旬、ケルンで行われたIDS(International Dental Show)に新たに開発した歯科用計測機とワックス歯冠加工機、そしてそれらを動かすCAD/CAMの展示のため出張しました。IDSは歯科産業界の世界最大の展示会で、東京ビッグサイトの3.5倍の面積を持つケルンメッセの半分を使い、2年に一度開催されます。その様子につきましては既にデンタル事業室から前月号(DIPROニュース2013年4月号)でご報告させていただきましたのでそちらをご覧いただければ幸いです。

今回初めて出展して感じたことは、歯科分野での日本企業の存在感が薄いことです。これからは医療分野が重要と経産省や評論家が喧伝する割には日本からの出展は2,058社中、僅か35社と低調で、関心の高い歯科用CAD/CAM分野でソフト、ハード共に展示したのはDIPROだけでした(他に加工機のみの展示が1社)。韓国や中国が国を挙げ全面的にバックアップし、歯科産業を育てようとしている様子を目の当たりにし、この分野も将来が心配されます。

このところ電気や半導体分野の、日本を支えてきた有名企業の凋落振りをメディアが伝えています。企業業績に留まらず、例えば米国への留学生の数について、ハーバード大学長のD.G.ファーストさんが「昨年度、日本からハーバードへの学部新入生は1人、まもなくゼロになろうとしています。中国は36人、韓国は43人と増加している。日本の若い優秀な学生が内向き志向になるのは、日本の孤立化が進む危険な兆候ではないか」と警告されているのを以前読んで(選択2011年11月号)少なからずショックを受けました。また最近の新聞に、日本の科学論文数のシェアが、10年前は米国に次ぐ2位だったのが、中国、ドイツ、英国に抜かれ5位に落ちたとありました。その他さまざまな指標で順位を落としつつあるのをみて、日本全体がグローバル化のなかで沈みつつあることを改めて実感し、一日も早く反転のときが来るのを願うばかりです。

欧州で感じたこと

このように外向けの経済活動に期待が持てないと、いきおい内需を増やそうとなります。しかし、つい最近まで続いた理不尽な円高・デフレ、少子高齢化、そして将来への不安など、お金を使いづらい理由には事欠きません。さらに戦後一貫して物質的に豊かになることをめざしてきた私たちは、物を買う以外の、魅力ある使い道をなかなか見出せません。

人間が創りだしたものを大胆に分類すれば、効率や便利さを得るための物質的なもの(文明)と、芸術や哲学など精神的活動としての作品(文化)となるのでしょうか(世界遺産など、両方を兼ねたものもありますが)。そうすると、物がそれなりに充足している現在、精神的・文化的な活動に、より多くお金を使うことが豊かさと内需の両面から望ましいことになります。

欧州に行って感じるのは、日本ほどは物があふれていないことです。またよく見るTVの欧州紹介番組での街や家庭の様子は思ったより質素で驚きます。だからといって欧州の人々が貧しいとはとても思えません。統計的根拠はありませんが、欧州の人の方が、便利なもの・物質的なものより精神的・文化的なものに、より多くのお金や時間を使っているような気がします。そう思うのは欧州の町の文化的な施設の豊富さからです。さして大きくない町を訪れても、そこにある美術館、博物館、音楽会場、劇場などは、数が多いだけでなく建物も魅力的で、多くの人が訪れています。ときどきホテルに置いてあるその町の音楽会のプログラムを見ると、毎日のように演奏会が催されているのに驚きます。同じ規模の日本の町に、それほど魅力的な施設は滅多にありませんし、あっても利用する人は少なそうです。そのため施設を作っても箱物行政とか税金の無駄使いといわれてしまいます。箱が本当に無駄なのか、貧しい中身が問題なのか、あるいは観に(聴きに)行く人が少ないのが問題なのか、一体何が無駄で何を改めるべきなのでしょうか。

ケルン中央駅を出てすぐ左側に、世界遺産で有名な高さ157メートルのケルン大聖堂が威容を誇っています。幾多の戦乱の影響もあり1248年(鎌倉時代)に始まった現在の聖堂の全てが完成したのは建設開始から600年以上が経過した1880年(明治13年)とのことです。またスペインのサグラダファミリア(聖家族教会)は、1882年(明治15年)に建設が開始されましたが、完成までに300年はかかるといわれています。しかし最近入場料収入などに支えられて進捗は加速しており、設計者のガウディ没後100周年目の2026年に完成するとも言われています(WIKIPEDIAより)。それでも着工後150年近くかかることになります。

日本人のメンタリティからは考えられない長い時間をかけ、宗教的意味を超えた文化財と言える教会の建設を続け、遥か後世に芸術的価値の高いモニュメントとして残そうとする精神性とスケールの壮大さに驚き、圧倒されます。そうしてできたモニュメントが世界から多くの観光客を呼び、外貨獲得だけでなく歴史や文化の拠点として訪れる人に感動を与える役割も果たしています。

箱、中身、観る(聴く)人?本当はどこに問題があるのでしょうか

箱といえば、欧州の町や村は言ってみればそれ自体が箱物のように思われます。もちろん内容も魅力的です。町や村全体が観光資源という所も少なくありません。文明と文化、そして自然がうまく融合しているのでしょうか。箱の一つとしての美術館はそれぞれに個性的で、なかには素晴らしい作品が数多く展示され、子供たちが思い思いに名画を模写しているのをしばしば目にします。早くから芸術的なものに触れる機会を作り、将来の文化を創る人や鑑賞する人の層を厚くしています。

音楽の都ウイーンにはオペラハウスや数々のコンサートホールがあり、観光客も含め、多くの聴衆が楽しんでいます。いたるところに小さなサロン風の演奏会場もあり、ビールやワインを飲みながら踊ったり食べたりして楽しんでいます。こういった場がたくさんあっても、決して箱が多すぎるとか中身がないとは言われません。それだけの演奏を可能にするレベルの高い交響楽団、室内楽団、演奏家あるいはアマチュアの音楽家、そしてそれらを聴いて楽しむ沢山の人々など、ここでも長い歴史の中で成熟した芸術や文化をたしなむ層の厚さを感じます。

伝承に留まる江戸時代以前の芸能や文化

最近歌舞伎界で大物の役者が亡くなったり歌舞伎座が全面的に作り直されたりして話題になっていますが、ある新聞の記事に、歌舞伎役者を見る目は皇室を見る目と似ているとありました。よく分からない謎の世界への好奇心といった感覚です。私自身この歳になるまで歌舞伎は2、3度しか見たことがありません。見てもよく分からないからです。一方で西洋演劇とかオペラ、あるいはクラシック音楽は、外来文化にもかかわらず、特に学習しなくても日本古来の歌舞伎や文楽、あるいは雅楽よりたやすく鑑賞し楽しむことができます。

なぜ日本の古典の方が理解しにくいのでしょうか?考えるに、明治維新の欧化政策で、それ以前の文明・文化とは連続性がなくなってしまったためではないかと思います。明治維新で、それまでの文化や価値観を見事なまでに捨ててしまいました。そしてそれらは過去の遺産として、主に保存あるいは伝承という視点で残されることになりました。しかし時代背景が江戸のままでは、時間が経つにつれ理解ができなくなるのは当然です。江戸時代の人にとって歌舞伎は古典ではなく現代劇だった筈ですが、西欧化した現代人に江戸時代人と同様に理解し、楽しめといっても無理なことです。歌舞伎を伝統芸や保存芸能に留めるだけなら多くの役者が世襲で構いませんが、時代とともに変化し、芸術としてさらに発展させるには幅広い才能を取り込む方が好ましいと思います。もちろん江戸時代に留まるのも必要ですが、それだけでなく明治、大正、昭和など、それぞれの時代を反映したり、西欧文化と融合した歌舞伎など、積極的に進化させれば、国を超えて楽しめる独自の芸術としてさらに広がると考えるのは素人故でしょうか。古いものは完璧で変えてはいけない、よって保存すべきとの意識が強すぎるように思われます。文化も時代と共に(よいところは継承しつつ)進化するのが自然に思います。以前述べたことがありますが、クリスマスは世界中で電飾を取り入れるなど時代に合わせて進化していますが、伝統を意識しすぎたお正月行事や遊びは旧態依然で、いまでは大人にも子供にも飽きられて、年々クリスマスに押されてさみしい行事になりつつあります。

それでは西欧化で途切れた過去の文明や文化とのかかわりをどう考えたらよいのか

過去の文明や文化が途切れた例としては、嘗てイスラム国家が生まれたスペインのアンダルシア地方や、アレキサンダー大王が東征でオリエントを征服した例などがあります。しかしスペインではイスラムと西欧文化の融合で素晴らしいアルハンブラ宮殿のような建築文化が生まれました。後者ではオリエント世界にギリシア文化が入ってヘレニズム文化が生まれました。自然科学、哲学、美術など現在まで世界に多大な影響を与えた文明と文化を生んでいます。これらの例に日本の取るべき方向が示唆されているように思います。つまり、日本と西洋の文化を別物と考えるのではなく、積極的に融合することで、それぞれになかった、そしてオリジナルを超えた新しい文化を創造する役割を果たせると思います。古代の日本は大陸からの文化をうまく融合しながら新しい文明や文化を作り上げました。しかし近年、特に西欧の文化に対しては単にそのまま取り入れるか模倣、あるいは表面的な取り込みに留まっているような気がします。一方で伝統的芸能や文化は別の世界のものとして保存と伝承の対象にとどまっていることが多いのではないでしょうか。

日本的なものと西欧的なものが別々に、そして脈絡なく混在する様子は他にもいたるところで見られます。欧州を鉄道で旅すると、車窓から美しい自然とそれに溶け込んだ家並みが続く心が安らぐ風景を楽しめますが、日本で新幹線に乗ると分断された自然と、それに不似合いな個を主張する人工物が雑然と連なり、車窓から見る景観にちっとも魅力を感じないばかりか、最近はどんどん醜くなっています。田舎の風景を壊すコンビニや、見苦しい看板で埋まった雑居ビル兼用の地方の駅なども旅したときにがっかりします。日本橋や六本木の真ん中に高速道路を通すようなことはパリやニュ―ヨークでは決して起こりません。古くなるほど味や風格が出る公共施設はほとんど知りません。機能性や利便性を中心に作られ、文化的価値の視点をあまり持たなかったからであろうと思います。観光立国だ、日本は美しいと叫んでも、かろうじて点として残されている、急減する自然や旧跡だけでは海外の観光客を呼ぶには限界があります。日本のどこへ行こうと、そこが点としてではなく、道中も含め面として魅力ある観光資源に変えて行けたらと思います。

日本への観光客が少ないのも実はそのあたりに原因があるように思います。フランスへの観光客は年間7,000万人で人口より多いのです。日本は韓国より少ない僅か670万人で、フランスへの観光客の10分の1以下です(2009年)。幸か不幸か人工物の老朽化でいたるところで再開発が必要になっています。嘗ての列島改造論とは全く違う意味で、美しい自然をとり戻すことと、ヘレニズム文化のように深いレベルでの融合を通し、欧米とは違う、今より格段に魅力的な日本に改造する絶好のチャンスと捉えたらいかがでしょうか。

これからの本当の豊かさを目指して

お手本がなくなり失われた20年。そして東北大震災と原発事故。ここまで悪いことが重なれば、今後はよくなるしかないと考えたいものです。そしてこの20年は反転のために必要な期間であったと前向きに捉えます。そのうえでこれからは、過去と現在、日本と西洋を深いレベルで融合し、文化的にも物質的にもより高い価値を創り出します。ちょうど合金を作るように。そのために融合の結果として創りだされる箱物と、その中身を創る人、それを楽しむ人がもっともっと増えなければなりません。芸術系の学校の卒業生が生活できる仕事に困るのではなく、今の何倍も必要になるほど、中身を創る人、鑑賞する人の層を厚くすることが重要です。もしそれが実現できれば、今まで以上に世界から好感を持たれ尊敬される国に変わって行けるのではないでしょうか。

冒頭にご紹介した歯科事業の世界で“日本と西洋の文明と文化を融合する”とは何をすることなのか、これまで述べたことを他人事とは考えず深く追求してみたいと思います。そして新しい価値を創り出し歯科用システムとして世界に発信する夢を持ち続けたいと思います。

(最高技術顧問 間瀬)

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