随分昔の話ですが、前に勤めていた自動車会社の設計フロアの壁に、達筆で書かれた表題の"設計いろはかるた"の一つが額に入れて掲げられていました。ほんの短期間ではありましたが設計部に在籍したとき、'設計'とは何をすることだろうといろいろ考えながらその額を時々眺めていたことを思い出します。車や部品に対する高い商品目標と現実との狭間にあってうまく行かないときは"ない袖が振れないのは当りまえでは?"と落ち込んだり、素人の私では解決策がなく途方に暮れているときに担当者が優れたアイデアを考えだしてくれたりしたときはその設計者に感謝しつつ、ない袖でもうまく振れば答えがある、やっぱりない袖振るのが設計の仕事なのだと妙に納得したりしたものでした。
設計とは?と言った場合、茫漠としているがゆえに様々な定義が考えられますが、例えば、「工学を始めとした多くの学問や知識・経験をもとに、自然界の物質やエネルギーを利用して様々な製造物(人工物)を考えだすこと」というのもそのひとつかと思います。設計の基礎となる工学は自然科学に立脚しているため論理の連鎖で決められる世界と思われがちですが、実際には限られた時間内に、多くの矛盾する要求を抱えつつ何らかの形や結論に落とし込むことが要求されます。ない袖振るのが設計の仕事―これは自動車の設計にかかわらず、他の製造業やあるいはIT産業においてもおよそ設計と名のつくところではどこでも要求されるといってもよいでしょう。当時、時に違和感を覚えたこの句が、今にして思えばなかなか含蓄のある言葉であったように思います。
ところで、ここ数年、開発プロセスのデジタル化が急速に進んだことで、設計業務も大きく変わってきています。昔考えられた設計いろはかるたが(誰が考えたか知りませんが)最近の設計業務に照らして今でも通用するものなのか、改めて読みなおして見ました。
嘗てはよい設計をするということはよい図面を描くこととほぼ同義であったと思います。つまりそれほど'設計'において図面の位置づけが重要であったということです。そこで48句の中で図面という文字を含んだ句がどれほどあるだろうかと、探してみたところ4句ほどありました。
といったものです。やはり設計者の、作品としての図面に対する特段の思い入れを謳った句が多い気がします。特に「人は死するも図面は残る」は多少大時代的かもしれませんが、誇りと責任感といった設計者の気概をよく表しています。
しかし近年の設計はデジタル化の進展で、たとえ2次元図であっても、媒体は紙ではなくコンピュータ内のデータに変わったことや、2次元よりむしろ3次元データ(紙には落とせない)が主になってきたこと、さらには設計業務の複雑化や分業化が進んだことで、かつての設計のように、図面を描くということが設計のシンボリックな作業ではなくなりました。デジタル化が進んだとき、手書き図面に替る、新たに求心力となる作業や媒体を創り出すことの必要性を感じます。
ところで、前述の4句はデジタル化時代にあってどのように表わしたらよいでしょうか。単純に、図面をデータに置き換えてみると、例えば、「遅れた図面はただの紙切れ」は、「遅れたデータはただの紙切れ」、いや「遅れたデータはただの凸凹信号」といったところでしょうか(あまりうまい句ではありませんが)。
このように図面という言葉を単にデータあるいはCADデータに置き換えてもそのまま十分に通用すると思います。しかしもう少しデジタル化時代の設計にふさわしいいろはかるたを考えてみた方が面白いと思います。紙がデータに変わることによるマイナス面もありますが、デジタルデータの持つ圧倒的な情報量や即時性といったメリットは勿論、未開発の可能性を発掘することも含め、デジタルデータを生かしきるプロセスの構築が大切と思います。
例えば「くたびれ損、後工程で使えない3次元データ作り」などと句にしてみたらいかがでしょう。これは今思いつきで書いたものですが、皆様もそれぞれの会社に適した48句を考えて見られたらいかがでしょうか。私もこの文を書いていて、"デジタル化時代の新設計いろはかるた"をまじめに考えてみたいと思いました。
前述の設計いろはかるたのなかに「理想を夢見ず現実に溺れず」という句がありましたが、これも設計するものの姿勢としてとても大切な視点と思います。理想ばかり追いかけても形に落としこめないし、さりとてチャレンジもなく現実に溺れたのでは決してよい設計はできません。表題の句とセットで常に心すべき句と思います。
さて、かるたの最後の句は(“ん”ではなく京となります)、京:「今日の夢は完成の夢」とあります。私たちITシステムの開発やサービスに携わるものにとっても「今日の夢は完成の夢」であるのは設計の仕事と同様です。今日できなくてもあしたに、あしたにできなくてもいつの日か実現したい。このような、『夢を形に』のこころはとても大切で、いつまでも持ち続けたいものです。
(代表取締役社長 間瀬 俊明)
PICK UP