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DIPROニュース

2009

1月号

2009.01.10

地球と次世代の人々からの声にどう応えるべきか

代表取締役社長 間瀬 俊明
代表取締役社長 間瀬 俊明

「明けましておめでとうございます」 と今年も例年と同じように申し上げたくても正直、このところおめでたい話はめっきり少なくなってしまいました。21世紀に入り9年目、ミレニアム騒動当時の新世紀への期待とは裏腹に、暗い話が続く昨今です。宇宙ができて137億年、地球の歴史は45億年、そして1万年前に現世人類が人間圏を作ったとのことです(松井孝典著「地球システムの崩壊」)。しかしその人類は、地球が45億年かかって営々と溜め込んだ石油を、20世紀の100年間と、この先41年間(BP統計による確認埋蔵量より)の、わずか150年もしないうちに使い尽くそうとしています。私自身振り返って石油文明を最も利用し享受させてもらった世代であり、またそういった仕事に携わってきましたので、問題視する権利はないとは思いつつ、自省も含めて考えてみました。

今の状況のなかで、もし後世の人々が世代を超えて現代人と話し合う場があれば、今の使い方に絶対反対するであろうことは容易に想像できます。もし石油に代わりうる新たなエネルギー源を見出せないなら、そのときの人類は、地球に降り注ぐ太陽エネルギーだけで済まされる、今とは異なる文明と文化(生活様式)を受け入れざるを得ません。このような問題の次世代への先送りは、エネルギー問題だけでなく、国の膨大な借金や環境問題など、様々な分野で行われ、かつ、広がっているように感じます。

以前も触れたことがありますが、情報化やインターネットの急速な進展で、世界同時化が進むとともにメディアの影響力が計り知れなくなっています。マスコミ人や政治家は、世論とか民意といった言葉を頻繁に使いますが、それらがあらかじめあるわけではなく、メディアの影響力に従って、意図的に作られていく部分が少なくありません。私自身、民意と言われても、自分の考えと違うと感じることがしばしばです。街なかのインタビューでは、何を言わせたいか、あらかじめ決めてあり、税制の改定や高齢者の医療費値上げは反対と、自分たちに都合が悪そうなことは何でも反対といった具合です。普通は何か問題があれば、なぜなぜを何度も繰り返さないと本当の原因にたどりつきませんが、この世界では悪い現象の裏返しを原因と見なし、そして民意とするようです。そのため問題がますます大きくなってしまいます。そのような例をいくつか取り上げてみたいと思います。

一つは年金支給漏れ(消えた年金)問題。97年に基礎年金番号が導入され、厚生年金番号や国民年金番号を統合しようとしました。しかし、統合できず宙に浮いた過去の年金記録が5000万件もあることが昨年2月に明らかになったものです。さかのぼれば30年近く前、国民にIDをつけようとしましたが、いわゆる国民総背番号制にすると、プライバシーがなくなり、悪用されるとの理由で大反対にあいました。それ以後タブーとなり、行政ごとにばらばらのIDコードにしてしまったのが問題発生の背景といえます。

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私はもう20年以上も前、大規模な自動車用部品表システムの開発に携わりました。関連業務を効率化するために最も重要なことは、部品番号の整備でした。数百万点の部品を設計し、製造・販売・サービスなど様々な仕事を円滑に行うためには部品番号なしでは不可能です。つまりコンピュータを使うにはキーとなる番号が必要です。部品名称だけでは効率化につながらず、作っても意味がありません。高々数百万点の部品表でさえそうですから、あちこち動き回る1億人以上の人々を生涯にわたって正確に保障するためには、コンピュータを使わざるを得ません。そのために個人のID番号をキーにすることになります。もしID(米国では個人ごとに一つのソーシャルセキュリティナンバーを持つそうです)がなければ、どんなに公務員や職員を増やしても正確な管理は不可能です。メディアも、今となっては不可能なことを感情面だけから要求したり、いつまでも責任追及するばかりで、冷静にメリット・デメリットを分析し、一緒に解決法を考えようとする姿勢がほとんど感じられません。そしてこのことによる膨大な無駄を考えると途方に暮れます。

もう一つは国の巨額な負債について。私は税制には全くの素人ですが、現在日本は1240兆円という途方もない赤字(長期債務残高、うち国債は553兆円)を抱え、それでも毎年借金を増やしています。国民一人あたりでは約1000万円となり、4人家族なら4000万円の借金を抱えていることになります。やむなく増税を言えば、役人の使い込みとか非効率をやり玉に、たちまち反対にあいます。消費税率アップといえばマスコミと世論は必ず反対となるようですが、スウェーデン25%、イタリア20%、ドイツ19%、イギリス17.5%、アメリカ8.38%(ニューヨーク市)などに比べると、日本の5%は少なすぎるように感じます。食料などは税率を低くするとか工夫はいくらでもあるように思いますが、感情論が先に来て議論もできず、結果として国債を発行するなどで、物言えぬ次世代に借金を積み増すことになります。このままでは石油の枯渇問題と同様に、近い将来日本の財政は破たんしかねません。(家計の常識からは既に破たんしています)

この二つの例で感じるのは、あまりにも正義を振りかざし、全部を他人のせいにする風潮です。少しでも他人(例えば公務員)の欠点を見つければ、本来次元の違う問題にもかかわらず、それを理由に年金は払わない、税金は払いたくないでは結果として更に大きな問題を次世代に先送ることになります。私は自分が正しい(正義)とはとても思えません。メディアで、正義の名の下(実は自分の欲のため?)居丈高に追及する様子をみているとだんだん疲れてきます。みんな本当に正義の人ばかりなのか。お互い少しは完全ではないことを認め合い、単に批判するだけでなく、一緒に解を見出す努力をできないものでしょうか。

かつてはもう少し穏やかで心優しい日本があったように思います。何十年も前、「名もなく貧しく美しく」という、助け合い生きる聴覚障害を持った夫婦の家庭と愛情を描いた映画がありました。また「喜びも悲しみも幾年月」という燈台守の夫婦を描いた映画もありました。この二つの映画にはとても感動したので今でも強く印象に残っていますが、こういった美しさや優しさは、当時の日本の社会や家族に普遍的に、また当たり前にあったような気がします。こころの美しさや物を大切にする心は結局貧しかったからなのでしょうか。

地球の資源はみんなの物、何世代も後の人間を含めた全ての生き物が恩恵に与かるべき借りものであり、回り物です。水は体内にあるときは生体の一部ですが(体重の60%は水で、1ヶ月で全て入れ替わるそうです)、おしっこなどで出てしまえば普通の水です。エネルギー問題も、年金問題も、国の借金も、そして環境問題も一方的に後の世代に積み増し、先送りするのは自然の摂理に反しているように思います。かつての日本人の持っていた、輪廻、もったいない、お互い様の思想は、豊かさとともにどこかに置き忘れてしまったのでしょうか。

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新しい年の始めにあたり、人間同士、人と生き物、人と自然がお互いに心豊かにいつまでも共存できる世界を目指すことの大切さを改めて感じました。

21世紀に入って続いている様々な混乱は、20世紀型の大量生産、物質文明の延長だけでは成り立たないことを示しています。そして問題の先送りに終止符を打ち、それらの混乱を持続型の新しい文明・社会の創生を求める地球と次世代の人々の声と考えたらいかがでしょうか。人間の経済活動と環境・資源との矛盾は過去の歴史において、その都度克服されてきたとのことなので、今回も新しい技術で解決されるのか、あるいは大量エネルギーを必要としない社会を創りだすことで克服されるのでしょうか。この課題解決の先導役は恐らく自動車産業ではないかと思います。なぜなら今最も問題を痛感し、様々な危機に直面しながら真正面から取り組んでいるのが自動車産業だからです。

併せて今回の金融崩壊も人間社会への警告と捉え、改めて過去を振り返ると共に、これからは21世紀に受け入れられる新しい価値、持続可能な世界の創造に努めつつ、皆様にお役に立つ仕事をして参りたいと思います。

本年もどうかよろしくお願い申し上げます。

(代表取締役社長 間瀬 俊明)

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