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DIPROニュース

2009

4月号

2009.04.10

お手本なしでお手本に

若草が萌え出づる春とは裏腹に、日本も金融工学を徹底利用したウォール街のマネーゲームの破綻により、負のスパイラルに巻き込まれてしまいました。いよいよ新年度が始まりましたが、いたずらに悲観するだけでなく悪循環を絶ち、正のスパイラルへの反転の年としたいものです。

最近、自信をなくして久しい日本人に対し、昔の日本をよく知っている外国の方々とお会いしお話を聞く中で、私たちが忘れてしまった日本の良さに気づかせていただいた思いがしましたので、それについてお話したいと思います。




マハティール前首相(右)
弊社取締役社長間瀬(左)

1年前のこの欄でも触れましたが、昨年2月にマレーシアにDreamEDGEという、マレーシア出身の弊社の若い社員が代表(責任者)を務める現地会社を設立しました。

その社員は日本に留学し学んだ経験から、日本とマレーシアとの架け橋になることが夢と考え、マレーシアでのPLM市場の開拓というとても難しい課題にチャレンジしています。彼はその活動をマレーシア前首相で親日家のマハティールさんに是非知って欲しいと、秘書を通じてその思いを伝えたところ、ついには面談する機会を得ることができました。マハティールさんはそこでの話に大変興味を持たれ、たった10人の、若い人ばかりのオフィスを訪問したいということになったのです。DIPROの紹介も求められましたので、DreamEDGE社の拡販を支援することも含め、急遽マレーシアに出かけることになりました。

ご承知の方も多いと思いますが、マハティールさんは1981年から2003年までの22年間、マレーシアの首相を務め、一貫してルックイースト(東方)政策、すなわち勤勉で大きな格差をもたらすことなく世界第二位の経済力を持つまでになった日本をお手本にした政策を推進し、アセアンではシンガポールに次ぐ豊かな国を作り上げた方です。

そのため、リタイヤされた後も国民の尊敬と敬愛の念は極めて高いことはもちろんですが、高齢にもかかわらず、良識のリーダーとしてその発言や行動は今でも世界的な影響力を持ち続けています。

そんな方がなぜちっぽけな会社に来られるのか、私自身最初は信じられませんでしたが、マレーシア人にとっても信じられないとのことでした。このことは不可能に思えることでも一所懸命に努力すれば実現することを改めて教えられた気がします。

マハティールさんについては以前から、たぐいまれなリーダーシップと強い信念をもった指導者として関心を持ち尊敬もしていました。マハティールさんは、かつての日本を国づくりのお手本にしてきたこともあり、日本への思い入れは尋常ではありません。著書や発言に、自分はそしてアジアの人はいかに日本にあこがれ学んできたか、その熱い思いがにじみ出ています。そんな日本が近年自分を見失い自信をなくし、そして右顧左眄する様子を見るにつけ、師と仰いできた日本がなぜこんなになってしまったのかと嘆いて



おられます。特に最近の日本の若者(Young Generation)の茶髪やピアスといった風潮を心から嘆き、もはや日本からは学ぶものはない、いやむしろ反面教師になってしまったとまで語っておられます。その上で是非ともかつての日本の素晴らしさを日本人自身が理解し、自信を取り戻してほしいとのメッセージを送り続けています。日本に学んだという思いが強いからこそ、そして愛着が深いからこそ良き日本に戻ってほしいとの願いが切なることが伝わってきます。

今回お会いした際、私からは歓迎の言葉として、日本の良さを取り入れた東方政策とその指導力に敬意を表したいこと、DIPROという会社はどんなコンセプトの会社か、そしてマレーシアにDreamEDGE社を作ったのは、最近の失望されている日本ではなく、かつてのお手本となった日本と同様の活動、すなわちDIPROの技術をDreamEDGEに移転しつつ、それによって両社や両国の発展や繁栄に繋げることを目指すことにありますとお話しました。

訪問最後の昼食の場でも、日本の若者がアメリカナイズされつつあるのを好ましく思わないといったニュアンスのお話もありました。83歳という高齢にもかかわらず、なぜこんなに日本をよく知っておられるのか、そしてなぜそんなに日本のリーダーシップを期待されるのか、日本人以上に日本に詳しいことに驚嘆する思いでした。

今回の出張と直接の関係はありませんが、もう一人、アシスト社というソフト会社の社長のビル・トッテンさんも以前から日本に対しマハティールさんと同様に感じられている方ではないかと思います。先日講演を聞く機会がありましたが、トッテンさんは、最近日本に帰化された大の日本びいきで、講演では今の米国の経済・金融のやり方はばくちと同じと言い切られ、日本はばくちをやっていないのに巻き込まれるのは納得がいかないと熱心に訴えられました。「昔の日本の企業経営は人の幸せのためであって金のためではなかった。しかるに近年は欧米のばくち経済に巻き込まれてしまい、99%の円の売買は貿易とは無関係で、1%だけが貿易による売買であり、実体経済よりもカジノ経済の方がはるかに大きくなってしまった。そのため、日本の真面目な製造業が破壊されていくのを見るのは我慢ならない」と本気で怒っておられました。講演後のパーティで、「GMやクライスラーが苦境にありますが、支援すべきか否かどうお考えですか?」と尋ねたところ、即座に「GMやクライスラーは米国には必要ない、トヨタ、日産、ホンダといった日本メーカーが作って売ってくれればそれで十分です」との返事が戻ってきました。

マハティールさんやトッテンさんのような知日家、親日家の方々は国や立場は違いますが、いずれも1960~1970年代に日本と接し、その当時の日本の素晴らしさに感動し共感した経験を持たれています。そしてそれゆえに一層、今の日本に対してはがゆく残念に思う気持ちが強くなっているという点で共通しています。こうした方々は、「日本は素晴らしい文化やシステムがあり、高い職業倫理観や優れた品質の製品を作りだす素質や技術を持っている、もっと誇りとリーダーシップを持って欲しい」と訴えられているのだと思います。

私は2002年ごろ、「お手本のない時代」という小文をある小冊子に寄稿したことがあります。そのなかで「日本は変わるべきだが変わらない、と批判の大合唱をするものの、どう変わるべきかの処方箋や道しるべを提示できず、いたずらに混乱を増幅している。キャッチアップすべき目標を失ったときの日本の脆さを感じる」と書きました。

今、1970年代の日本と違うのは、かつてのような追いつき追い越すべきお手本がないということです。昔は目指す目標が明確にあり、だからこそわき目も振らず、汗水たらして努力できたのだと思います。しかしながら豊かになった今、いつまでもお手本を求めるのではなく、自ら考え、お手本なしで新たなお手本になることを求められているのだと思います。そして今回の世界同時不況はそれに応える絶好のチャンスではないかと思います。

皆様と一緒にこの困難な時代を乗り越え、いずれ来る朝を、自信を持って迎えられるように努力してまいりたいと思います。

(取締役社長 間瀬 俊明)

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