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DIPROニュース

2010

9月号

2010.09.10

5つの向かい風を超えて (その2)

2010年8月号でお話しした5つの変化(図5)が、どのように起きたか、なぜ向かい風であったかについて順に考えてみたいと思います。

図5
‘クローズド’から‘オープン’思想に

「桐一葉落ちて天下の秋を知る」は、豊臣家の5奉行の一人、片桐勝元が豊臣家の滅亡を予感して詠んだ句と言われています。些細な出来事から大きな変化の兆しを知るという意味で使われます。また竜安寺の庭は、幅25メートル、奥行き10メートルの塀で囲まれた空間に15個の石を配置しただけの簡素な石庭です。この小さな空間に巨大な世界や宇宙を投影することで見る人を魅了し続けています。伝統的な日本の庭は小さな池や築山、そして石組みで海や山河といった広大な自然を表します。俳句も敢えて17文字の枠を作り、そのなかで研ぎ澄まされた描写力を競います。こういった精神構造を詳細に分析した、韓国の作家で大学教授の李御寧の著わした「縮み思考の日本人」という本がありますが、非常に優れた日本人論となっています。このような、小さなものや敢えて枠をはめたなかに大きな意味や価値を創り出そうとする精神は、ものづくりにも遺憾なく発揮され、ウォークマン、軽自動車といった日本独自の製品が生れました。しかしグローバル化時代に入ると、それと大変相性のよいオープン思想を背景にした製品が日本の強みを奪っていきました。日本人は個の中に全体を作り込むのが得意ですが、欧米人は全体の中に個を活かす作り方が自然にできるようです。ヨーロッパの民家の窓辺の花は、個としてとても美しく飾られていますが、同時に街全体の景観を美しいものにしています。日本人がそれを苦手とすることは、雑然とした東京の景観をみればすぐに分かります。囲い込まれた中での美意識は鋭いものの、不揃いなビルの稜線や、おびただしい電柱や電線で埋まる空を見上げたとき、その見苦しさを平気で放置できる感性は理解に苦しみます。私たちにとってオープン思想はよほど意識しないとうまく取り込めないと感じます。

この、思想としてのオープンは決して単純ではありません。特にグローバル市場に於いては、例えば、肝となる技術は隠蔽し、自社製品に都合よく体系化した周辺をオープンにすることでデファクトを狙うといった大胆で緻密な戦略が重要です。標準や知的財産の扱い方、そして何よりもどんなオープン思想で囲い込むか、明確なシナリオが必要です。こういった戦略的動きは職人国家といわれる日本には正直向いていないと実感します。分かっていても体が動かない、今やオープン化は日本のアキレス腱になっています。

‘ローカル’から‘グローバル’な場へ

ながく日本は輸出立国として外貨を稼ぎ成長してきました。その間、実際のものづくりは日本という国のローカル性を最大限に利用してきました。古く高度成長期は国内産業が育つまで貿易の自由化を制限しました。そして競争力が備わった後も、国内生産というローカルな強みを生かし、圧倒してきました。当時は多国籍企業も少なく、国をバックにしたローカル企業間の市場競争であったのです。その後、賃金や物価の上昇により徐々に価格競争力が弱まり、やむなく工場を市場の近くか、コストの低い国に移転せざるをえなくなりました。それでも移転先では日本的生産方式を徹底し、あたかも海外における日本の工場として、即ち海外におけるローカルな強みで競争優位を獲得してきました。

しかし1990年代以降のグローバル化はそれ以前の、先進資本主義国を対象としたグローバル化とは質的に全く異なるものでした。それは、旧社会主義国と発展途上国が資本主義経済の循環に組み込まれる、或いは途上国自らがグローバル化の流れを利用しようとするプロセスでした。そして人や物や金がそれまでより遥かに自由に国境を越えて動くようになったのです。特にITの発達がそのスピードを加速し、結果としてコスト削減、金融の国際化、途上国の発展をもたらしました。もともと人の流動性が低く、コミュニケーション力や英語力、更には金融資本も弱い日本にとって、新しいグローバル化はまさに逆風であったのです。そして否応なく日本というローカル土俵から、無限に広いグローバル土俵に移らざるをえませんでした。

長く島国に安住し、特段の広い視野を持たなくても自然に備わっていた競争力、それが共通のグローバル土俵での戦いに移ったことで一変しました。10億人の先進国マーケットから69億人のグローバルマーケットに移り、高品質・高性能が売りの日本製品は市場にマッチせず、逆にガラパゴス製品といわれるようになってしまいました。私たちは時代の急激な変化に十分に対応できなかったのです。

いずれにしてもここまで努力して高めた品質や機能・性能を、単に落として戦うことは得策ではなく、仮にそうしても勝てる見込みは殆どありません。新たなグローバル時代の戦略を生み出せないなか、依然として日本は漂流を続けているように思います。

‘高度な技能’を活かす時代から‘IT’力の時代へ

日本人は職人が好きな国家です。昔から偏屈で仕事一筋、こだわりを持って物を作るが金には関心が薄いというのがその人物像でした。高度成長期以降、量産品の製作においても、工業製品というより工芸品を作るくらいの職人気質が、設計・製造・保守サービスのあらゆるプロセスにプラスに働き、高い品質を実現し日本経済を支えてきました。

しかしグローバル化の進展でこの強みが徐々に怪しくなっていきました。特に80年代の大きな成功体験とその過信により、グローバルマーケットに適した品質と価格に対する適切な判断力を失ってしまいました。高度な技能、即ち暗黙知を強みとしてきたことが却って阻害要因となってしまったのです。ソフトウエアは人工的なルールに基づいた目に見えない概念世界の構造物で全て論理に従って作られます。しかもその論理は自然科学には立脚しないのです。論理として組み立て形式知化し、それをソフト化すれば世界各国で同じ情報や仕組みで活動できます。多民族、多国籍国家が多い欧米は、もともと形式知化が進んでおり、ITを駆使することで更なる効率化を容易に実現することができました。特にインターネットに代表されるネットワーク技術は、従来型のITとは全く次元が異なる威力を発揮し、高い技能と高効率を誇った日本的生産方式の優位性を奪っていきました。

そのうえITの活用にとってはあまり好ましくない、「お客様は神様です」といった風土、言い換えれば、お客様企業の個別の仕様要求に対し、ベンダーが一生懸命に応えるビジネススタイルは、日本独自のシステムインテグレーション(SI)型のIT産業を生み出しました。しかしそうして作られた製品は世界に通用しないだけでなく、システム開発の効率が悪い個別一品生産の世界を作り上げる結果となりました。日本のIT産業がグローバル化できない大きな要因の一つはここにあります。

‘すり合わせ’型から‘モジュール’型へ

すり合わせについては既に言い尽くされた感があります。ただ誤解をされやすい点について一つだけ触れておきたいと思います。すり合わせは、しばしば製造の現場で行っているように受け取られています。量産品を作りながらすり合わせたり手直ししたりするのでは却って手間がかかり弱みになってしまいます。すり合わせは設計段階で発揮されて初めて強みとなります。つまり設計段階で後工程の要件や使い方を可能な限り盛り込んでおこうとする考え方や仕事のやり方がすり合わせの本当の意味です。

このような正しい意味においてのすり合わせの強みは、自動車の場合、設計段階で車全体を一つのモジュールと捉え、後工程やマーケットの要求を予め取り込み、究極のインテグレーションを実現することで発揮されました。最も複雑な車でさえ一つのモジュールとして捉えられたわけですから、その他の工業製品は同様の思想や仕事の進め方は容易でした。しかし1990年以降、新たなグローバル化とともにモジュール全盛の時代へと移っていきました。90年代は日本にとって失われた時代であるとともに、米国の復活とベンチャーの隆盛をもたらした時代でもありました。

モジュールといえば今から40年以上も前の1960年代に発売されたIBM/360 OSは、モジュール型製品として、ほぼ完璧といってよいほどの素晴らしい出来でした。私も前号で触れた「お手本のない時代」の小文で、「30年以上も前、このOSを知ることになり、その独創性やスケールの大きさに圧倒され感動を覚えた。このようなことを考える国に近代戦で勝てる筈はなかったとの思いを強くした」と記しました。今もその思いにかわりはありません。OSに限らず複雑化する製品を単純化し、開発プロセスを効率化するためにモジュール化はキーとなる概念です。モジュール化してインターフェース(I/F)で繋げばモジュール内の自由度はむしろ高められます。例えば自動車産業では、新しいグローバル化に対応するため、車をコックピット、フロントエンドやドアといったモジュールに纏め、その間をI/Fを決めて繋ぐという設計に変える取り組みを行いました。このモジュール設計と並行して、生産工程と調達構造のモジュール化も合わせて進められました。すり合わせ型の最先端を行った自動車産業が、アンチテーゼともいえるモジュール化にいち早く取り組んだのは、新しいグローバル化の意味するところがよく理解されていたためではないかと思います。

概して日本のマーケットでは、高品質へのこだわりから徹底的にすり合わせて作られたインテグラル型の製品が好まれてきました。そのため内需に注力した産業や企業は後手の対応にならざるをえませんでした。

‘個の最適化’から‘システム化’へ

日本人の強みは全くの無から何かを創り出すのではなく、今ある商品やサービスを究極まで磨きあげ効率化させることで、完璧な商品に仕立て上げる力にあります。言い方を変えれば、最適化の手段として「改善する」「玉成する」「極める」といった仕事のやり方で強みを発揮してきました。しかし科学技術とグローバル化の進展で、限りなく複雑化する対象を制御するのが難しくなり、その解決の有効な手段として、システム化の威力が増していました。しかしシステム化が意味するものを本当に理解し吸収することが十分にできなかったため、時代の流れを正しくとらえた強い製品やビジネスを生み出すことができませんでした。

ところでシステムとは一体何でしょうか。なんとなくわかりづらい言葉です。あえて定義すれば、個別ではなくそれぞれの要素を有機的に繋げた系の全体といった意味でしょうか。辞書を見ても適切な訳語が見当たらないことから分かるように、日本人にとってシステムという概念はもともとありませんでした。そのことからもシステム思考の弱さは認めざるをえません。一方で複雑さを増すあらゆる人間活動において、自然科学に限らず社会科学や人文科学を含めた全ての領域でシステム思考の重要性と価値が増しています。特に今の時代における優れたシステム化とは、5つの変化で取り上げたうち、「オープン化、グローバル化、IT化、モジュール化の4つのキーワードを、その本質における価値を最大限に発揮できる形で結び付けること」であるといった方がよいかもしれません。

第二次大戦をシステム戦として見た時の負け方や、戦後のIBM/360 OSの発表など、遥か以前からシステム化力に関する根底の差があったにも拘わらず、殆どの産業でその本質を深く追求してこなかったことが今日の状況を招いたと思います。システムに弱いといった特質をどう克服するか、依然として重い課題として残されたままになっています。

図6

以上の5つ変化はそれぞれが極めて密接な関係にあり、相互に影響を及ぼしつつ有機的に結ばれ、それぞれの変化を加速してきました(図6)。進化論ではありませんが、環境が急激に変化していくとき、それ以前の環境への適応が高かった分、新しい環境への適応が難しいことを改めて感じます。

次号では、これらの変化を乗り越え、目標の達成に向けた新たな取り組みについて考えてみたいと思います。

(相談役 間瀬 俊明)

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