プロ野球の新球団騒動以来、いわゆるIT企業が連日様々な分野でマスメディアを賑わしています。ところで、IT企業とかIT業界と言ったときどのような企業を思い浮かべるのでしょうか。今、マスコミ向けに多くの話題を提供しているライブドアや楽天、あるいはソフトバンクといった会社を例にして元気なIT企業とかIT起業家の成功例といったとらえ方がされています。確かにITを活用し新しいビジネスモデルやマーケットを開拓しているユニークな会社といえます。しかしこういった会社をテイピカルなIT企業とした場合、メディアはIT業界やIT産業をどう定義しているのか、何か曖昧さを感じます。例えば自動車業界とか、自動車産業といったとき、どんな会社を思い浮かべるでしょうか。おそらく多くの方は自動車メーカーや自動車部品メーカーを思い浮かべるのではないでしょうか。一方自動車を利用してビジネスをしている企業や業種はといえばいろいろ思い浮かべられます。運送業やレンタカー、駐車場、ガソリンスタンド、タクシー会社など実に様々です。
このように自動車を例にとっても、それを製造する側と利用する側あるいは関連する産業などを考えた時、それらを同列に扱かい比較することの無意味さはすぐわかります。しかしITは外から見えにくいためか、これらがごっちゃになってIT業界と一まとめにくくって語られるケースが多く見られます。そのためITの実体が分かりにくく、そもそも正確な区分や概念がないなかでIT産業の成長や発展を議論し、あるいは国として適切な施策に繋げるのは難しいと思われます。
IT産業を一般の製造業とのアナロジーで考えた時、物づくりや様々なビジネスを支える道具としてのソフトウェアを製造する企業(車でいえば自動車製造業や部品会社などが当たります)、そういったソフトを利用して、金融業や広告代理店業、あるいは旅行代理店などを行なう企業(車でいえば例えば運送業とかレンタカー業などでしょうか)、あるいはアニメやデータといったコンテンツを作る会社(車の場合、車に載せる荷物、これは無限にありますが)などでは、同じITを利用していても業種も業態も目的も全く違っています。更に不思議に思うのは昔からの慣習か電機業界大手として、日立、東芝、富士通、NEC、ソニーといった会社がならべられ、しばしば業績や賃金などを比較されていることです。今ではそれらの企業間でビジネスの内容が大きく違ってきています。ソニーは映画やゲームなどのコンテンツが得意ですが、富士通は企業を相手にしたSI・ソリューション事業が中心になってきています。日立は重電や原子力などにも大きな比重があります。これらを比較することにメディアはどんな意義を見出そうとしているのでしょうか。
ITが物づくりの主要な手段になりつつあることから、21世紀初頭はIT立国を目指すべきというのは大方のコンセンサスです。それではITのどこに注力すべきでしょうか。勿論ITに関連する全ての分野で成長し、発展することは望ましいかもしれませんが、総花的ではなかなか競争力ある企業は育ちません。社会全体でITという概念が混乱して使われている状態では、満足な議論が難しくなります。大切なことはITと一括してくくってしまうのではなく、ITを作る(創る、造る)側や使う側に、本当はどんな技術やビジネスが必要なのか、また作るのはハードかソフトか、その両方か、ソフトの場合、基盤かあるいは応用分野に注力するのかなどを社会全体で議論できる共通概念や認識が必要です。利用する側のビジネスも同様で、しっかりした区分や認識がされていなければ、国のIT戦略は勿論、企業戦略の立案すら難しいと感じます。
今までの国の施策は、例えばパソコン教室無料受講券の配布など、使い方を教えるために大切な投資を行なったりしてきました。これは自動車産業を盛んにするために、国が運転教習所の授業料を無料にするようなもので、その滑稽さがわかります。資源のない日本にとって、ITの利用者即ちIT消費者の立場でも強くなることは勿論必要ですが、それだけでなく、むしろ雇用の裾野が広げやすいITやソフトウェアの真の生産国として強くなければならなりません。それでは一体どうすればよいか、なかなか難しい課題です。それを解く責任は、第一義的には私たちのようなソフトベンダーにあるというのは当然ですが、それだけでは問題が解決しないと思います。
日本はすでに10数年前にキャッチアップ型の産業構造を終えています。そのうえ、基盤ソフトウェアのビジネスは、オリジナル製品のまねをして多少それよりましなものを作っても成り立たない世界です。それでは自らを振り返ってどうであったか。多少まじめに仕事はしたかもしれませんが、その仕事が創造的であったかというと残念ながらそう感じられません。しかしかつての追いつき追い越せ時代にあった私たち世代は、ITにあってもオープンな世界ではなかったため、先行していた欧米を目標にそれ以上の物を作ることで頑張れば追い越せましたし、またそれで済んだ時代だったのです。ある意味、楽だったと思います。ところが今ではキャッチアップ型は既に中国に譲り、私たちは進む方向をみずから見出さねばならない時代になっています。しかし残念ながらまだ新たな道を見出せず、そのことが今の日本の低迷に繋がっているのでしょう。
教育の世界を見れば、過度の詰め込み教育や受験戦争の反省から、80年代に入って「ゆとり教育」が進められました。しかし国際的に比較してもその後の学力の低下が著しかったとして、再び「脱ゆとり路線」に方向転換がなされることになりました。ゆとり教育の狙いは、自ら考える人間を育てたいということもあり、余裕あるカリキュラムになっていましたが、狙い通りに行かなかったということは、実はとても深刻な問題です。真の原因の追究が不十分のまま、単に方向転換してやり直すのではすまない本質的な問題が内在しているように思います。これからはゆとり教育を受けた世代、そして見直し後の新しい教育を受ける世代が、背負っていくことになります。キャッチアップ型でよかった時代ではない、新たな時代を背負う若者達は、私たちの世代以上に困難な課題に挑戦しなければなりません。そのためにどのような教育を行なうのか、どういう人材を育てるのか、家庭教育も含め、私たち大人の世代の責任であることは明らかです。
DIPROはこれまで多くのお客様からのご支援と、難しい課題に挑戦する機会を戴き、幸いにしてなんとか今日に至る事が出来ました。しかし今後は弊社もキャッチアップ型で生き残れる時代ではないと覚悟しています。物づくりのノウハウとITの融合を更に深め、育てていく努力を続けて参りますが、それだけではなく新しいものを創り出す創造力や先進性が、今後ご提供するプロダクトやサービスの付加価値として最も重要になっていくと考えています。
これからも、世界的に強い製造業であるお客様から厳しく鍛えられることで育ち成長していけたらと念じています。まだまだ非力な部分も多いと承知していますが、これからも、時には敢えて育てて戴く機会もいただければ幸いです。大変勝手なお願いかもしれませんが、これからもご指導やご支援をよろしくお願いいたします。
(代表取締役社長 間瀬 俊明)
PICK UP