今夏は異常な暑さでせっかくの夏休みも外に出る元気もなく、暑さしのぎに易しくて面白い本はないかと、久しぶりに動物に関係した本を読み返したり図書館で借りて読んだりしました。動物は見ているだけでもこころが癒されますが、今回は夏休みの宿題の読書感想文といった趣で、読んだ本の紹介を兼ね、その感想を記してみたいと思います。
ご存知の方も多いと思いますが、これは本川達雄さんの名著『ゾウの時間ネズミの時間』にある有名な記述です。ゾウは100年近く生き、ネズミは数年しか生きません。物理的時間で見ればゾウがずっと長生きですが、心臓の拍動を時間として考えるならば、ゾウもネズミも全く同じ長さだけ生きて死ぬことになります。小さい動物はテンポも速いので同じ時間内でやれることも多く、一生を生き切った感覚は案外同じではないかとありました。生まれてから大人になり、子を産んで死ぬという生物学的サイクルで見れば、ネズミは短命で気の毒と思う必要はなく、生きた充実感としてはきっと同じなのでしょう。
それでは人間の、動物としての寿命は何歳なのでしょうか。1分間に60回心臓が打つとして計算すると、63.4歳となります(最近の本川さんの別の著書では15億回になっています。それで計算すると、47.5歳となります)。日本人の現在の平均寿命は82.6歳です。この長寿は科学・技術の発達の賜物で、後半生の2~30年分は人工的に引き伸ばされた寿命といえます。元気で長生きしたい、これは生き物全ての本能なのでしょう。しかし動物は他の生き物(動物か植物)を食べなければ生きていけません。他のいのちをいただいて自らのいのちをながらえるのです。なんとも大きな矛盾です。しかし矛盾を前提に生き物の世界が創られているのもまた確かなのです。
答えは、もしあの体で鼻が短いと、立ったまま木の葉は食べられても水が飲めないからだそうです。体がでかいので立ったりしゃがんだりが大変だから鼻が伸びたと。(加藤由子著『ゾウの鼻はなぜ長い』)
動物がその多様性を維持するためには、全ての動物は生き物を食べ、ある確率で何かに食べられるようにできています。なんとか生き延びるため、捕食されないよう、あるいは捕食対象がなるべく重ならないよう、食べ物や生態、形、大きさ、寿命など、無限に多様化していったのでしょう。そうすることで巨大な自然界の平衡が万遍なく、そしてうまく保たれてきました。ある生き物が、運よく他の動物に捕食されず天寿を全うした場合でも、いずれ死んで土に還ることで、やはり別の生き物が生きるために役立つのです。
食べるための道具である歯もまた興味深いものがあります。鳥にはなぜ歯がなくてくちばしで食べるのか、理由は分かりませんがとても不思議です。肉を食べる動物は奥歯(臼歯)も犬歯のようです。肉食動物は噛んで食べるのではなく、食べられる大きさにちぎったら飲み込むだけとのことです。仕事で海外のデンタルショーに行ったとき西洋人の歯型模型を見る機会がありますが、臼歯が日本人より長く咬合面の凹凸も鋭いのに驚きます。おもにコメを食べるか肉を食べるか、食べ物の違いで変化したと思えば不思議を通り越して納得します。
形態だけでなく、動物のスピードもさまざまです。陸の王者はチーターで110キロ。鳥の最速はハリオアマツバメで171キロとのことです。海ではマグロが160キロで泳ぎます。(『速さの不思議』びっくりデータ情報部編、河出書房新社)。人類最速のウサイン・ボルトが時速37.57キロ(100メートル9.58秒)。スピードが早ければ必ず獲物が捕まえられ、楽な一生を送れるかというとそうではありません。速い動物ほど全力疾走できる距離が短いので逃げられることも多いそうです。成功したり失敗したりで自然はうまくバランスを取っているのでしょう。
生き物はこのように生きるためにさまざまな努力をしています。とにかく食べなければ生き延びられませんから。生きる、食べるは子孫を残すためです。「生きる」、「食べる」、「子孫を残す」たったこれだけです。子孫を残せば自分は死ぬ。それが動物の世界の当たり前の姿なのです。
また、動物はなんにしろ、省エネに徹し、大変効率がよい生活をしています。猫やライオンは食べるとき以外ほとんど寝ています。猫に限らず多くの動物は余分なことは一切しません。子供の頃、大好きな動物園に行ったとき、お目当てのライオンやトラがおりのなかでほとんど動かず寝てばかりいるのを見てがっかりしたことを思い出します。動く場合も必要最小限、省エネに徹した動きをします。移動の効率が高いと言えばやはり鳥がダントツです。ポール・ケリンガー著(丸武志訳)の『鳥の渡りを調べてみたら』によると、渡り鳥のズグロアメリカムシクイは2、3日のノンストップ飛行で(つまり無給油で)北米東部から南米まで3,200キロを渡るそうです。実力は時速32キロですが風に乗って時速80キロになります。飛び立つときの体重は20グラムで着いたとき8~10グラム。10グラム減ったとすると1グラムの脂肪で320キロ飛んだことになります。もしこの本にかいてある通りなら、燃費は320,000㎞/ℓ(1ccが1gと仮定します)と驚異的な値になります(1ℓで地球8周!)。
一方、人も標準代謝量で見れば同じサイズの動物とエネルギー効率は変わらないそうですが、文明が発達し、自分では歩かずに車などを使い、大量のエネルギーを消費するようになりました。石油など一次エネルギーの消費量からみると日本人の体重は4.3トン、つまり生きるために必要なエネルギーはゾウと同じになるそうです。確かに人が車で移動すると燃費は、よくて20㎞/ℓ。ガソリンと脂肪が同じカロリーと仮定すると、アメリカムシクイより16,000倍も燃費が悪い。鳥から見れば天文学的な無駄使いです。人も車も鳥を見習わなければなりません。車はもっともっと燃費を改善しなければ地球は持ちません。人間は脳が発達したため、さまざまなスケールから逸脱してしまいましたが、特にエネルギーを浪費するという意味で動物ではなくなってしまったということでしょうか。
福岡伸一さんの『動的平衡』はいつ読んでも面白い。それによると、「生体を構成している分子は、摂取した食物と置き換えられ、分子的には数ヶ月前の自分とは全く別物になっている。分子は環境からやってきて、一時、淀みとしての自分を作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく。体は通り過ぎつつある分子が一時的に形作っているにすぎない。その流れ自体が“生きている”ということだ」というのです。
そう考えればあの硬そうな歯も骨も数ヶ月前と全て入れ替わっているということになります。生物は分子の流れの「淀み」であるとのことですが、分子を、高速道路を走る車に例えれば、あちこちで生まれる渋滞部分が、それぞれの生き物を形作っているのだと考えることができます。分子の淀みである私たちも、歳をとると1年が速く感じます。理由は新陳代謝速度が加齢と共に遅くなり、自分の生命の回転速度が若いころのように物理的な時間についていけないということだそうです。たったこれだけしかできなかったのに今日一日、今年一年が過ぎてしまったと感じることが年々増えていきます。これはかけた時間の割に成果が少ないため、振り返ったときに短く感じるからとのことです。つまり「淀み」や「渋滞時間」が若いころに比べ長くなっている証だと思うと、納得しつつなんともさびしい気持ちにもなります。
『ゾウの鼻はなぜ長い』を書いた加藤由子さんは大のネコ好きだそうですが、著書『雨の日のネコはとことん眠い』に、「猫の行動を見ていると、生きて何かをする前に、まず存在すること自体の大切さがあり、ただ存在することの素晴らしさに気づかされる。昨日と今日の区別もなく、将来の計画やいずれ訪れる死の不安もなく、今存在することこそが生物としての本来の姿ではなかったのかと、感じさせられてしまう」とあります。全く同感です。いろいろな動物本を読んでみて理屈抜きで(本能で)生きる動物たちの素晴らしさを改めて感じます。
しかし考える脳を授かった人間は、幸か不幸か、本能であるべき生きること自体にも「自分はなぜ生きているのだろう?」と考え悩むようになりました。「人生曰く不可解」といって滝に身を投じた人もいます。「人の役に立つ、社会に貢献するのが生きがいである」という人もいます。あるいは「人生は愛する人のためにある」と考える人もあります。自分も若いころは(ときどきは今でも)「何か目標をつくりそれをやり遂げる情熱と、やり遂げたときの達成感が生きる原動力である」と考え、それらを行動のよりどころとしてきました。しかしそういう意義や目的を考えられるのは実は恵まれた状況にあるからかもしれません。一方で、さまざまな理由で生きるだけが精一杯であったり、歳を取って社会に役に立たなくなったり、あるいは健康を害して人の世話にならざるを得なくなる可能性も大きいのです。そうなると生きるのも苦しくなります。しかし生き物の世界を見るとそんな悩みはもともと存在しないのではないかと思います。本能として、次世代にいのちを繋ぐこと、そしてそのために存在することが本来の意義であり目的であると教えてくれているようです。人間も、何のためでもない、ただ生きるのが目的、本当はそれでよいのだと思えてきます。
自然の摂理により、時間を戻すことはできません。エントロピー増大の法則に従っていのちは徐々に壊れていきます。永遠に生きることは不可能なため、子孫を残して自分は死んでいきます。たとえ固体としてのいのちがそこで終わっても、自らが子孫を残さなくても種としては保存されます。そして死んで土に還ることでまた別のいのちを育みます。生きているということは分子の流れが遅いか一時的に留まる部分を意味していると考えれば、生と死は連続的で区別は必要ないといえるのかもしれません(といってもやはり死は怖い)。―「人間は、動物のようにただ一生懸命生きればよい。素直に、そしてあるがままに」。
(最高技術顧問 間瀬 俊明)
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